旅するコーチのblog

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ただいま日本

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【ただいま、日本】
どんな暮らしがしたいか、考えてみました。
僕自身でいえば、自然のそばに住んで、心穏やかに、周りに感謝して、手作りのものを食べて暮らす、というのが今の理想です。
更にいうと、幾つかの拠点をもって、例えば、都会と地方で暮らす場所をもったり、12~3月をパタゴニアで過ごすような暮らしができたら最高だなと思っています。
そして、さらにさらにいうと、人と組織がもっと健やかに幸せに、お互いを活かしあえたらいいなと思っています。 

「自然のそばに」というのは、どこがいいかまだわかりませんが、理想は家の近くか、近くの自然の中で焚き火ができたらいいなと思っています。それは、山の中でもいいし、海岸のそばでもいいのですが。

僕が生まれた実家の山梨の家には、かまどがあって、もち米を炊いたり、とうもろこしを茹でたり、赤飯を炊いたりと、かまどを使って、直火で調理をするというのがごく自然に近くにありました。
パタゴニアでも薪ストーブをつかって料理もつくり、家全体があたたかくなるような暮らしをいろんな家でみました。火が近くにあるというのは、何だかんだほっとするし、火の暖かさに触れると心も少しほぐれるようなそんな気がしています。
大学生の頃、キャンプに行って焚き火を囲みながら、ぽつりぽつりとみんなが誰にでもなく話し出す、いつもは少し照れくさいけど、思っていることを語りだすあの雰囲気がとても好きで、キャンプに行くと火おこしから火の番まで、火のそばにつきっきりになってしまいます。焚き火とその火を囲む雰囲気がたまらなく好きなんだと思います。

「心穏やかに、まわりに感謝して」の肝は、不便な暮らしなんじゃないかと思っています。
便利で効率的で、なんでも揃う、なに不自由ない暮らしというのは、極端にいえばホテルとコンビニのような暮らしで、きれいで居心地よくほしいものはなんでも揃うのですが、すべてをサービスとして買っているような、少し物足りなさがあるような気がしています。
手間をかけて何かをする代わりに、お金を出してほしいものを手に入れるという暮らしは、ほしいものはたしかに手に入るのですが、手づくりで手間をかけてつくったり手に入れたりすることとは本質的に全く違う体験だなあと思います。
不便な暮らしは、例えばキャンプとか、自分の家を自分で建てるような、そんな暮らしで、限られたモノ、自然の恵みを活かした生き方をしたいなと思っています。
お金をつかって生きるというより、知恵と工夫で楽しむ、そんな暮らしでしょうか。
旅の中で体験した、不便なところほど、例えばパタゴニアのトレッキングの最中など、小さなことに感謝、感動が生まれます。
携帯用のガスバーナーでお湯を沸かして、コーヒーを飲んだときの幸福感、暖かな部屋と、あったかいシャワーに感動することも、それがあたりまえにあるわけじゃないところに自分がいることで、小さなことが喜びに変わりました。
カミノデサンティアゴを歩いてる時も、毎日が決して快適で便利なわけではありませんが、だからこそ巡礼者同士が助け合ったり、ごはんをシェアしたり、限られたものを活かして工夫する楽しさを知りました。不便だったけど、最高に楽しく、幸せな毎日でした。

『ありがとうの反対は、あたりまえ』という言葉を聞いたことがありますが、あたりまえになんでも揃う暮らしの中で、感謝の心を持つのは少し難しいなと、自分の体験から思います。頭ではわかっていても、すぐに忘れてしまうし、ついつい言葉だけの感謝になってしまいがちな気がしています。

太陽のあたたかさ、布団のあたたかさ、きれいな水があること、洗濯物が乾くこと、足を伸ばしてゆっくり寝られること、一杯のお茶が心も癒やしてくれること、新鮮な果物を体に取り入れることができること、自然の恵み、不便な自然の近くにいるほどに、日々のあたりまえのひとつひとつがとてもありがたいことのように感じられて、自然と感謝が湧いてきます。

感情の遠近法というか、不便なほどあたりまえは減って幸せや感謝を感じやすくなり、便利なほど、あたりまえが増えて、幸せや感謝を感じにくくなってしまうような、そんな気がしています。

「手作りのものを食べて暮らす」は、南米、スペイン、モロッコを経て感じたことです。食べ物が美味しいと、自然に幸せを感じるというのは、旅の中で何度も経験しました。
日本で働いていたとき、忙しくて食事をほとんど外食ですませていたときがありました。おいしいものも食べたし、手軽なもの、凝ったものいろんなものを食べました。
それが、よくないとは思いませんが、僕にとっての幸せの体験というのは、手作りのごはんを誰かといっしょに食べることなんだと言うことを感じました。
パタゴニアで1ヶ月半キャンピングカーで旅した時は毎日、自炊をしていました。限られた食材と限られた調理器具でつくるキャンプめしは、どんなレストランで食べるより満足感がありました。時々失敗もしましたが、それもまた楽しくしあわせなひとときでした。
モロッコのトドラ渓谷にしばらく滞在したときも、自分たちでサムゲタンをつくったり、手打ちのうどんをつくったり、てづくりでバームクーヘンをつくってみようとチャレンジしたりと、何かを買ってきて食べるということと、手づくりで自分たちでつくったり、誰かの愛情のこもったごはんを食べるというのは全然違う体験なんだと感じました。
旅する前は、自分のしあわせにこんなにも食事が影響するとは思いませんでしたが、どうやらあなどれない大事なことのようでした。つくるより、買ったほうが安いからと、値段で何かを選びがちでしたが、どっちが嬉しさや喜びがあるかで言うと手間がかかっても手づくりのものだなと意識が変わりつつあります。

拠点を幾つかもったり、人と組織のしあわせについては、もう少し熟成してから言葉にしてみたいと思います。

こんな暮らしをしたいと思ってるんですが、どこかいいとこありませんかーーー。

写真は、キューバにて。