旅するコーチのblog

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僕はいつ死んでもいい。(と思いたい。)

僕はいつ死んでもいい。(と思いたい。)

いつ死ぬかわからないし、人は必ず死ぬんだということから逃れられないとしたら、死を遠いどこかのこととして忘れたくないと思っています。

もちろんすぐに死にたいわけでもないし、親を悲しませるようなことはしたくないし、送り出してくれたお世話になった人たちに、元気に生きて帰ることが1番のお土産だと勝手に思ってはいるのですが、どう考えてもいつ死ぬかはわからないなと思うわけです。

日本人の平均寿命が80歳だからといって、それが僕がいつまで生きるかとはほとんど関係がないのです。
海外で会う人、海外で仕事をしていたり、起業、旅をしている人も含め、自分の命が限りあるもので、いつ死ぬかわからないということを意識している人は多いような気がします。
いつ死ぬかわからないから刹那的に今やりたいことだけをしようという気はないのですが、(いや、ちょっとはありますが)、「いつかやりたいこと」は、「いつまでたってもやりたいことのまま」、というのは定説です。

うまくやろうとすればするほど、一歩目を躊躇して踏み出さず、見切り発車でも一歩目を踏み出した人の方が、いくらでも軌道修正や方向転換ができるなと思います。

【物事にはタイミングがある】
【まだ機が熟してない】

という諺もあれば、

【思い立ったが吉日】
【今日が残りの人生で一番若い時、始めるなら今】

という言葉もあります。
どちらが自分の背中を押すかはわかりませんが、今がそろそろ何かを変えるときだと思っているなら、きっと今なんだと思います。

いつ死ぬかわからないこの人生、やらなかったことを嘆くより、挑戦した自分を生きたいと思います。

誰かにと言うよりは、なんとなく自分に対して思ったので覚えておくためにも書いておきたいなと思いました。

アマゾンは、電気も水道もない村に滞在し、ハンモックに揺られ、本を読んでいました。
パタゴニアの自然とは全く違う熱帯の土ぼこりと、照りつける太陽と、夕方からあらわれる蚊の襲撃と闘いながら、サンダルで過ごしました。

自然の近くに住みたいと思っていましたが、ここには住めないなと気づくきっかけにもなり、平和って退屈だなとも思いました。

ただ、庭にパパイヤバナナがなっていて、それを好きな時にとってきて食べるという暮らしは温かいところに住む人の余裕につながるような気がします。
どんな場所でも人は生きていけるし、なにか失敗しても死ぬわけじゃない、何を怖がっているんだと、いつまで足踏みをしてるつもりだと、なんとなく自分に対して思うわけです。

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