今日も誰かに出会う
人生はからくりに満ちている。日々の暮らしの中で、無数の人々とすれ違いながら、私たちは出会うことがない。その根源的な悲しみは、言いかえれば、人と人とが出会う限りない不思議さに通じている。
出会いの不思議
出会いとは不思議なもので、日々数百、数千の人とすれ違いながらも、出会う人というのはほんの僅かです。
今日はどんな出会いがあっただろう。
先週はどんな出会いがあっただろう。
先月は、昨年は、、、、、。
時間軸を大きくしていくと、ああこの出会いは自分にとって、意味のある出会いだったんだなと、そんなことを思います。
でもそれは出会った瞬間にはわからなくて、振り返った時に、なぜだか続いていたり、お互いに影響を与えあっていたり、お世話になったり、人を紹介してり、してもらったり。
様々な形で、あるひとつの出会いが意味をおび始め、出会いの連鎖を生んでいくようです。
すれ違う人全てと出会えるわけではないし、そんなにたくさんの出会いは自分のキャパオーバーだと思いますが、縁があって出会った人とはなにか意味があって出会ったのではないかと、そんな風に思います。
なぜこの人とこのタイミングで出会ったのか。
意味があるかもしれないし、ないかもしれない。
その出会いの不思議さを楽しみながら今日も街を歩きます。
写真はクスコ到着の日曜にお祭りで民族衣装を着た人が踊る様子。
空の青さと、衣装の鮮やかさが印象的でした。